無責任な妄言

顔の良い男を浴びるほど見ていたい

社会不適合者が「米津玄師」を信仰するまで

youtu.be

 

 私は一言で言ってどうしようもない人間である。

昔から将来の夢というものがなかった。絵を描いたり小説もどきを書くのが好きな子供だったが、そういったクリエイターになるのはあまりに険しい道のりであること、なれたとして最低限幸せな生活が送れる保証がないことを知っていて、しかし他にやりたいこともなかった。

なんとなく、少しでも絵が描ける人間になれたらと思ってデザイン科のある高校に入学したが、世の中には私より圧倒的に絵が上手い人間がいることを痛感しただけだった。クラスメイトが進学するような美大・芸大に入れる素質もなく、デザイナーになる才能もない。それでもなんとなく「なんとかなるんじゃないか」というふんわりとした慢心があったが、高三にもなるとそんな悠長なことを言っていられず、慌てて就職活動を始めた。

そして二十歳まで就活フリーターの道を歩むことになった。

なんというか、全体的に要領が悪いのである。こうなることは高校入学時に察せようものを、なんとなくぐだぐだしているうちに好機を全部見逃してしまう羽目になった。就活をしようにも、デザイン系高校の落ちこぼれ学生という明らかに「駄目」な人材を誰が好んで採用するだろう。なんとかパートやアルバイトになっても、「まともに愛想笑いができない」「人と目が合わせられない」「手際が悪い」「口答えをする」などの理由から次々とクビになっていく。ひょっとして私は自分で思っているよりはるかにロクデナシな人間なのだろうか。何社目かわからない会社に送る履歴書を書きながら気づいてももう遅すぎたのだ。

死にたくはない。別に有名になったり偉くなりたいわけじゃない。ただ人並みに働いて、人並みに存在を認められて、そこそこに生きていたいだけだ。履歴書にそんな志望動機を書いたところで採用されるわけはないのである。

「米津玄師」を聴くようになったのは大体その頃だ。

彼の前身(というか別名義の)ボーカロイドP・ハチの時代から彼の存在は知っていた。マトリョシカやパンダヒーロー、リンネや結ンデ開イテ羅刹ト骸といったキャッチーかつどことなく謎めいて奇矯なメロディと歌詞は中高生の私を沼に引きずり込んだ。しかし彼が最初ボカロPではなく「歌手」としてデビューした当初はあまり関心がなかった。自分で歌うくらいならミクやGUMIに歌わせてくれればいいのに、とすら思っていたと思う。

きっかけは思い出せない。二次創作のMAD動画で聴いたのか、あるいはほかに何かの機会があったのか、とにかく就活時代の私は「ゴーゴー幽霊船」を聞いた。高校生時代に聞いた時はあまり魅力を感じられなかった彼の独特な声質になぜか惹かれていることに気づいた。

ハチ時代とまったく変わらない、むしろパワーアップしたのではないかと思うほどとびぬけた言語センスとポップでグルーヴィーな曲。なんだこれ、なんで今までこの良さに気づかなかったんだ? なけなしのバイト代をはたいて「diorama」「サンタマリア」「MAD HEAD LOVE/ポッピンアパシー」といった当時発売されていたCDを全部買った。当時はまだまだ米津玄師としての名前が世間に知られていない頃だったから、尚更「世間が知らない神を発掘した!」と幼稚な私を燃え上がらせた。

彼に本格的に依存するようになったのは、やっとのことで採用されたパートをクビになってからだ。

もう履歴書を書く気力すらなかった私は暇があれば米津玄師を聴いていた。ただ音の羅列として聞き流していた音がより鮮明に聞こえるようになった。「首なし閑古鳥」はできそこないに生まれた人がそれでも「あなたと同じだ、愛されたい」と叫ぶ歌だった。「あめふり婦人」を聴いていると、不器用で不幸な女性が手の届かない人に恋をしてしまった歌に聴こえた。何をやっても駄目で、何をしたいかわからない、でも、そもそも辿り着くべき「正解」なんて最初からありはしない。それが「ポッピンアパシー」だった。

真理を教わった気がしたのだ。彼の歌に出てくる人々は、誰もかれも不器用で不幸で、何をやってもうまくいかないような駄目な人間だった。しかしそんな人でもこうして歌って、生きている。生きたい、愛されたい、存在したい、そう主張してもいいのだと言われている気がした。

無論、勝手な解釈だというのは百も承知である。本人に伝えたら鼻で笑われるかドン引きされるような妄想だった。しかし当時、社会の全て(個人的感覚)から「不要」と宣告されていた私にとってはその妄想が唯一の救いだったのだ。「優秀じゃなくても、愛すべき価値がなくても、あなたは生きていていい」と言われたかったのだ。そんな都合の良い解釈を得られる「米津玄師」というアーティストこそ、私が必要としていた神だった。

「リビングデッド・ユース」を聴いて信仰はさらに加速した。そこで描かれた人間は、弱く、卑屈で惨めで笑われながら、世界に合わせて生きていくことに悲鳴を上げながらも、「それでもこの世界で生きていたい」と願い、歌っている人だった。ポップで明るいメロディで紡がれる断末魔の叫びのような歌に感動し、耽溺していた。

私と同じような想いを、私と全くかかわりのない人間も感じ、歌っている。そう思うと、履歴書に嘘八百を並べたり、醜い引きつり笑いを浮かべて他人と会うことに対する勇気が湧いた。

 

 

今現在、米津玄師は国民的アーティストになっている。テレビで毎日のように彼の特集が組まれたり、youtubeに彼の歌をカバーした動画が山のようにアップされ、有名らしい賞を受賞したり各界の著名人と対談したり、それはもうえらいことになっている。

一方私は、社会人の末席を汚す者としてなんとか毎日をやり過ごしている。最近になってようやく、あのとき私が感じたものは妄想だったのだろうと思うようになった。沢山の人に言葉を届ける才能がある彼が、私のようなロクデナシと同じ感情を味わっているわけがない。私が単に、彼の曲に一方的な恋をして、都合良く受け取っていただけだろうと。

それでもやはり、彼の新曲を聴くと胸の高まりが止まらない。youtubeの動画を再生するだけで手が震えるし、繊細で入り組んだリリックにうっとりと聞き入ってしまう。彼の新シングルが自宅に届く日を心の支えにして苦行のような日々をなんとか耐えている。

 もはや「神」という形容詞がオタクの中でも陳腐と化した今、私は米津玄師を崇拝し続けている。

Flamingo / TEENAGE RIOT

Flamingo / TEENAGE RIOT