皆川博子『死の泉』をフォロワーにはおすすめしたくない
自分が読み、面白いと感じた本を家族や友人に勧めるという習慣は読書家ならごく当たり前にあるものだと思う。
特にSNSなど共通の趣味で繋がっている友人に対してなら、きっと自分と同じところで面白がり、楽しんでくれると確信して布教をするはずだ。
しかし私は、この作品に対してだけは「絶対に誰にも勧めたくない」と読了後感じてしまった。無論、それはこの小説がつまらないからとか、特定の何かに対する侮辱や差別的な表現があるとか、そういう問題ではない。ただ純粋に、圧倒的な物語の力、巧みな伏線布石により辿り着いた驚天動地のラストシーンに、そう思わされてしまったのだ。
物語の舞台は第二次大戦下ナチスドイツ。語り部のマルグレーテはある事情から父親の名前を明かせない私生児を身ごもり、未婚女性を保護し出産を支援する施設「レーベンスボルン」に身を移す。
レーベンスボルンは「純粋な金髪碧眼たるアーリア人による帝国を作る」という当時のナチスドイツの思想の元、軍人などの子を身ごもった未婚女性を保護したり、彼女らが生んだ児を母親の代わりに育て里親の元へ届ける、産院と児童保育施設を兼ねた施設である。マルグレーテはそこで看護婦として働きながら、いずれ生まれる自らの子がどのような運命を辿るのか不安を抱く日々を暮らしていた。
ある日彼女は、ポーランド人収容施設から移された美しい声を持つ金髪碧眼の少年エーリヒとフランツに出会い、さらにエーリヒの美しいボーイソプラノの声に異常な執着を見せる医師クラウス・ヴェッセルマンにエーリヒ・フランツの義母となるようプロポーズを受ける。未婚の母からエリート医師の妻、二人の少年の母親とあれよあれよという間に生活を一変させるマルグレーテ。しかし彼女に待ち受けていたのは決して安穏の日々ではなく、狂気の渦巻く美と悪徳の世界だった――
いかにもその道のオタクが好きそうなあらすじだし、実際その道のオタクが大好きな要素がワンサワンサと出てくる。
耽美オタクとして勧めたいのはやはりエーリヒ・フランツの義兄弟関係だ。元々はポーランド人で少年聖歌隊に所属していた二人だが、ナチスドイツの魔の手により出自をドイツ人と偽り暮らすはめになった齢十にも満たない少年たち。まだ幼いエーリヒはつらい過去を忘れていくが、兄フランツはナチへの憎悪を捨て去ることができない。エーリヒに危害を及ぼそうとしているクラウスに対しても警戒するが、しかし心のどこかで父性を求め必死で「帝国の男児」を演じようとする。
そして第二部以降、ヴェッセルマン夫妻の手を離れ流浪の日々を送る兄弟。自分達に向けた異常な仕打ちに対する復讐をしようとクラウスを狙う二人だが、フランツはエーリヒの「美しい声」を保つため、クラウスから教示された発声法を指導し続ける。エーリヒが自らの「女性と間違うような美しいソプラノの声」を内心忌んでいることを知りながら……。
語り部マルグレーテによる幻想的な語りも魅力的だ。第二部、衝撃と恐怖により精神を病んでしまったマルグレーテは狂気の世界に身を浸す。かつての想い人ギュンターと少年フランツを同一視して少女のような恋心を抱いたかと思いきや、我が子ミヒャエルの姿を見失い彷徨い泣き喚く姿、双頭の怪物、結合された双子の美少女の幻想……様々な視点の中に混在して映し出されるマルグレーテの狂気幻想は読みづらさもあるが、まさにこの作品らしい妖しげな美しさの象徴である。
義兄弟の狂おしい愛情と、母親と少女の間を行きつ戻りつする女性の狂気。これらは本来絶対にフォロワーに何がなんとしても読ませたいものであった。しかし、それを躊躇させる要素がこの作品にある。
それがこの物語を支配する、狂気の医師クラウス・ヴェッセルマンの存在であり、彼がこの作品において張り巡らせた陰謀なのだ。
彼は、自身は醜い小男ながら、彼が美を見いだしたものに対しては異常な執着を見せる。性を超越したボーイソプラノ、それを維持せんがために去勢し恒久的な美声を得たカストラート、母と少女のアンバランスな二側面を持つマルグレーテ、フェルメールを始めとした芸術品の数々、ヒトラーの悪魔的な思想……彼はそれらを蒐集し、手中に収めるためにありとあらゆる悪徳を尽くす。我々読者は時にその姿に圧倒され、魅了され、そして恐怖することになる。
あえて先に言ってしまおう。この作品には「どんでん返し」が存在する。
この小説を開いて読めば五秒と経たずわかることだが、この作品は「ギュンター・フォン・フュルステンベルク」なる人物が発表し、それを日本語訳したものという体裁を取っている。なぜそのような形式を取ったのか? その答えは、この作品の「あとがき」を読めば理解できる。
小説を読み終わり、終幕に胸を撫で下ろした読者は、すぐさまこの「あとがき」によって慄然とするだろう。それまでまったく意識していなかった作品のメタ構造の網にからめとられ、そして不安と恐怖によって構成された前後不覚の闇の中に放り込まれるのだ。
作品内でのクラウスの悪魔的所業に恐怖し、兄弟たちの悲劇的な運命に涙しながら、しかし「それでも最後はきっと善人が報われる、大団円となる」と無意識に勧善懲悪を期待してしまっていた私は、この作品の仕掛けに見事にかかり、思わず体調を崩しかねないほどの不安に襲われた。「怪物」クラウスの企みが想像を遥かに上回るものであったことを悟り、この小説が形ながらのハッピーエンドを迎えたことに吐き気や嫌悪感すら抱く。さらに言えば、物語に対して抱いた感情すら、この怪物の掌の上であったことに気づかされてしまうのだ。
殺人事件が起きない、名探偵やパズルも登場しない、そんな作品になぜSF「ミステリ」というカテゴリーがなされているのか、最後まで読み終えれば否が応でも理解するだろう。
メタ構造の作品は以前にも何度も触れたことはあるが、「読者」として、「作品の著者」に弄ばれる感覚を抱いたのはこれが初めてだった。
決してつまらない小説ではない。641ページという長編を全く飽きずに没頭させられる名作である。
しかし、こんな強烈な読書体験を信頼できる友人に勧めてもいいのか。あるいは私以上に打ちのめされてしまうのではないか。何より面白いからこそ、読ませることを躊躇してしまう。そんな危惧を抱かせる、稀有な作品であることは間違いがない。
この作品も気になっているが、「死の泉」と同様のことになってしまったらどうしようと思うとなかなか手が出せない。
ツイステッドワンダーランドに精神状態を中学生にされた
ディズニー ツイステッドワンダーランド
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私が漫画黒執事と出会ったのは今からおよそ12~3年ほど前の話である。
月刊漫画雑誌GファンタジーのCMでセバスチャン(CV:大正義小野大輔)の声を聴き、そして耽美優麗なキャラデザインを見て私の中に眠っていた“オタク”が産声を上げた。
今では定番とも言える『執事』という属性に付属する物腰柔らかで礼儀正しく気品がありスマートな振る舞い、黒基調のスタイリッシュな燕尾服、そして悪魔でありながら契約によって幼い少年に付き従っているというオタク心くすぐる関係性…当時中学生の私が萌えに目覚め、やりどころのない衝動――リビドー――を抱えるようになったきっかけである。
CMで小野D氏の声を聞いてはまだ名前も知らない衝動に悶え、少ない小遣いでコミックスを買い、予約機能のないボロのビデオデッキでアニメを録画するためこっそり親の目を盗んで夜中二時に起き出してビデオをいじる…自分自身でも忘れていた、そんな私のオタクオリジンが思い起こされるきっかけとなったのがソーシャルアプリゲーム『ツイステッドワンダーランド』である。
このゲームはあのディズニーが送る初の女性向けゲームである。それも、いわゆる『ディズニーヴィランズ』を題材とし、『不思議の国のアリス』や『ライオンキング』、『リトルマーメイド』『白雪姫』といった名作ディズニー作品に登場する悪役キャラクターをモチーフにしたキャラクターが登場する。
ディズニーヴィランズといえば、ディズニーリゾートで毎年ハロウィンの時期に登場する『手下』が女性向け半ナマ界隈で旋風を巻き起こしたことが有名であり、D界隈に無知だった私もジャックハートやエイトフット・ジョー、Mr.ダルメシアにときめいたものである。そんな手下達の人気を意識して作られたであろうこのゲームに、ディズニーの掌で踊らされていると知りつつもまんまとDLしてしまった。
とはいえ、女性向けアプリといえば主人公とキャラクターの恋愛要素だったり、胸焼けするほどのキラキラにアレルギーが出てきはしないか…と心配していた。『キャラデザイン・カードイラスト原画・メインシナリオ製作:枢やな』という事実を知り、とあるキャラクターと出会うまでは。
枢やな…………………………最高!!!!!!!!!!!!!!!!!
そう、枢やな先生といえば『黒執事』の作者であり、切り裂きジャック編、サーカス編といった名ストーリーを書き上げたあの枢やな先生である。今現在も黒執事の連載を執筆しつつ、刀剣乱舞など他版権でもキャラクターデザインを担当している超売れっ子神絵が上手いゴッドである。
ば、馬鹿な…過酷な漫画連載の最中に総勢30人を超すキャラクターデザインとシナリオの製作をしたというのか…?
そして、そのスーパーゴッド枢やな先生が送り出したキャラクターに私はまんまと心を狂わせられてしまった。
学園長先生!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この令和の時代に怪しい仮面姿!!!!ちらりと覗く黒いルージュの唇!!!!とにかくかっこいいマントに厨二心をときめかせるカラスの黒羽!!!!!そして宮本充による渋くセクシーな声色!!!!!!!!
最高〜~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
このナイスデザインオブザイヤーなディア・クロウリー学園長によって私は完全に沼に落ちた。いや、かつてセバスチャンを見て胸をときめかせていた頃の精神状態に立ち返ったのである。
学園長はいわゆるプレイアブルキャラ(攻略可能キャラ)ではないNPCのポジションなのだが、そんなことはまったく関係なかった。ただただ年齢不詳黒づくめスタイリッシュ敬語ダンディ宮本充に溺れたかった………………。
ありがとう、枢やな先生……………………。
もちろん、ツイステの特記事項はそれだけではない。
物語は学園モノの体裁。ナイトレイブンカレッジという名門魔法学校に入学した生徒達は、ちょうどハリーポッターのホグワーツ学校の寮組み分けのように、魂の資質で各作品のディズニーヴィランズをモチーフにした七つの寮に振り分けられて入寮し、立派な魔法士となるべく各魔法や錬金術、飛行術を学ぶ…という流れ。
主人公(=プレイヤー)は魔法のない世界から異世界転移してしまった魔法の使えない人間であるが、特例として入学し、個性豊かな生徒達と親交を深めていく。
主人公以外のキャラは全員魔法が使えるため、薔薇の色を塗り替えたり、大釜を出して見せたり、あるいは彼本人にしか使えない『ユニーク魔法』などを使ったり、様々な魔法が登場する。しかし、魔法を使いすぎるとある副作用が発生してしまうことが示される。
オーバーブロット…作中の説明を引用すると『闇堕ちバーサーカー状態』になってしまうのである。
一章でスポットライトを当てられたあるキャラは、厳しい環境で育てられて抑圧され続けたことや、周囲と関係が悪化していくストレスから、自身のユニーク魔法を濫発してしまい、ついにオーバーブロット状態になってしまう。彼が敬愛するヴィランを生き写しにしたような禍々しいコスチュームを着て、怒りと悲しみのままに魔法を使って暴れ回る…その姿はまさに、オタクが大好きな『悪堕ち』状態である。
あんなに可愛い美少年やかっこいいイケメンが、BLEACHで虚化した一護のように、東京喰種で覚醒したカネキのように、NARUTOで呪印を刻まれたサスケのように、禍々しく恐ろしくスタイリッシュでカッコいい姿になって暴走する!オタクが大好きなアレがあるのである!
枢やなによるクールな衣装デザインと、端正な顔を大きく崩して怒り、悲しみを叫び狂うキャラクター達!これを見ない手はない!
悪堕ち、ヴィラン、制服姿のハイティーン男子、枢やな…………これらにピンと来る方々は是非ツイステをプレイしてほしい。そしてクロウリー学園長やリドル君に精神状態を中学生にされてほしい。
twisted-wonderland.aniplex.co.jp
リトルマーメイド大好きでアースラ様激推しオタクとしてはアズールを筆頭としたオクタヴィネル寮の皆さんがどうなるのか今から楽しみ。
「神緒ゆいは髪を結い」には可能性がある
『神緒ゆいは髪を結い』|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト https://www.shonenjump.com/j/rensai/kamioyui.html
諸兄諸姉は週刊少年ジャンプを読んだことがあるだろうか。
ワンピースを始めとしてヒロアカ、ハイキュー、ブラクロ、鬼滅の刃、約ネバ…様々な神漫画が載っている日本一の少年漫画雑誌ことジャンプである。
しかし、ヒット作を生み出すのは並大抵のことではなく、神漫画が生まれる一方で毎年毎クール「打ち切り」の憂き目にあう漫画も当然少なからず存在している。
上に載せたサイトから第一話を読んだとき、きっと諸兄諸姉の皆様方は「まーたジャンプの十週打ち切り漫画が始まったよ」と思ったことだろう。正直なところ、筆者もこの漫画の一話を読んだときはまったく期待できなかった。
問題がありすぎる主人公に、今時「二重人格」「スケバン」「暴力」と令和の世には若干古い属性を載せたヒロイン…作者の椎橋寛先生のファンでも、「あっこれはダメかもしれない」という滑り出しの悪さだ。
だが、「神緒ゆいは髪を結い」は違うのだ。どうか信じてほしい。
当初はラブコメギャグ路線で始まったこの漫画だが、話が進むにつれて(具体的には二巻後半あたり)からバトル路線に足を踏み出す。すわジャンプ漫画にありがちなバトルでテコ入れか、と思いきや、これが思いもよらぬ“昇華”を果たすことになる。
バトルというジャンルにもいろいろあるが、ジャンプのバトル漫画と言えばおおよそが「主に少年・青年が」というのが定番だろう。しかし「神緒ゆい」の場合は脅威の戦闘力を持つ天衣無縫のスケバン「少女」の黒ゆいがバトルを繰り広げるのだ。
古今東西、少女が熱いバトルを繰り広げるストーリーは珍しくない。しかし「神緒ゆい」の場合は「スケバン」という要素と、一話から地味に伏線が張られていた「妖怪」要素、さらには椎橋先生得意のドタバタコメディが異様な化学反応を起こしてしまったのだ。
全国各地のスケバン少女を叩きのめしてきた黒ゆい。そんな彼女にリベンジを果たそうと全国各地からスケバン達がお礼参りにやってくる!しかもそのスケバンは皆「蟲」という怪物をその身に秘め、恐ろしい異能を操るのである!
あるときは「和歌山県・日本人形スケバン」。日本人形を用いて相手を恐怖させ、そこから幻覚などを見せ敵をじわじわと追い詰めてくるスケバン。
あるときは「静岡県・死のヴァイオリンスケバン」。「デススペルヴァリウス」なるヴァイオリンを演奏し、その旋律を聴かせた者をゾンビ化、そして死に至らしめるスケバン。
…聞いているこっちが「アホか?」と思う正気を疑うような設定である。しかし、これが「神緒ゆい」の魅力だ。この令和の世に、こんな神がかった馬鹿の発想を大真面目に扱う漫画が果たしてどれほどあるだろうか?
「日本人形スケバン」戦では、ヒロイン白ゆいが精神的に追い詰められてしまい黒ゆいとして戦闘が出来なくなってしまう。そこで活躍するのは第一話でパリピヤンキーとして登場した鍵斗さんである。最初は見掛け倒しのカッコつけ野郎だった彼だが、ゆいとの交流で少しずつ成長し、「ありのままの自分を認め、受け入れてくれたゆいを守る」という決心を固め、異能どころか戦闘能力も持たない身で日本人形スケバンと相対する。
「女を捨てた」と語るスケバンを「女にしてやる」と宣言し、彼女の髪を女性らしく結い上げるという方法で。
「神緒ゆい」はわかりやすく言うと「トンチキ」に分類される漫画である。二重人格スケバンとラブコメしたり、ラブコメから急にホラーになったり、どう考えてもジャンプ漫画のイメージに添うような正統派の漫画ではない。
しかし、一見馬鹿げた展開の中には確かな「芯」と呼べるものがあるのである。クズっぽい鍵斗さんがどんどん人間として成長していき、白ゆい・黒ゆいも「仲間に頼る」という成長を果たす。その場しのぎの滅茶苦茶な展開のようでいて、この漫画はずっと登場人物を真摯に追い続けている。
B級映画のような破天荒な味わいと、その奥に見え隠れする誠実なストーリー。この魅力に気づいた時、きっとあなたも「神緒ゆい」のファンになるのではないだろうか。
しかし、そこは弱肉強食のジャンプ連載である。滑り出しが悪かったためか、B級なストーリーラインがメイン層に受けないのか、「神緒ゆい」は今もなお打ち切りの危機に瀕している。面白いんだけどなあ。ほんとに。
「邪馬台国日本最古のスケバン」をラスボスとして掲げた「神緒ゆい」が今後どのような羽ばたきを見せるのか、見せる前に打ち切られてしまうのか。
きっと連載を継続し、これからもハチャメチャで面白い物語を展開してくれるだろうという可能性を筆者は固く信じている。
夢野久作を引用するブラコンシスコンな死のヴァイオリンスケバンこと橘城アヤ子さんが活躍する3巻以降が待ちきれない。
スター☆トゥインクルプリキュアが面白いという話
早起きが苦手な筆者はTVerの見逃し配信を利用しています。
Dream!ingで男子高校生を見守る人格なき壁になろう
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社会不適合者が「米津玄師」を信仰するまで
私は一言で言ってどうしようもない人間である。
昔から将来の夢というものがなかった。絵を描いたり小説もどきを書くのが好きな子供だったが、そういったクリエイターになるのはあまりに険しい道のりであること、なれたとして最低限幸せな生活が送れる保証がないことを知っていて、しかし他にやりたいこともなかった。
なんとなく、少しでも絵が描ける人間になれたらと思ってデザイン科のある高校に入学したが、世の中には私より圧倒的に絵が上手い人間がいることを痛感しただけだった。クラスメイトが進学するような美大・芸大に入れる素質もなく、デザイナーになる才能もない。それでもなんとなく「なんとかなるんじゃないか」というふんわりとした慢心があったが、高三にもなるとそんな悠長なことを言っていられず、慌てて就職活動を始めた。
そして二十歳まで就活フリーターの道を歩むことになった。
なんというか、全体的に要領が悪いのである。こうなることは高校入学時に察せようものを、なんとなくぐだぐだしているうちに好機を全部見逃してしまう羽目になった。就活をしようにも、デザイン系高校の落ちこぼれ学生という明らかに「駄目」な人材を誰が好んで採用するだろう。なんとかパートやアルバイトになっても、「まともに愛想笑いができない」「人と目が合わせられない」「手際が悪い」「口答えをする」などの理由から次々とクビになっていく。ひょっとして私は自分で思っているよりはるかにロクデナシな人間なのだろうか。何社目かわからない会社に送る履歴書を書きながら気づいてももう遅すぎたのだ。
死にたくはない。別に有名になったり偉くなりたいわけじゃない。ただ人並みに働いて、人並みに存在を認められて、そこそこに生きていたいだけだ。履歴書にそんな志望動機を書いたところで採用されるわけはないのである。
「米津玄師」を聴くようになったのは大体その頃だ。
彼の前身(というか別名義の)ボーカロイドP・ハチの時代から彼の存在は知っていた。マトリョシカやパンダヒーロー、リンネや結ンデ開イテ羅刹ト骸といったキャッチーかつどことなく謎めいて奇矯なメロディと歌詞は中高生の私を沼に引きずり込んだ。しかし彼が最初ボカロPではなく「歌手」としてデビューした当初はあまり関心がなかった。自分で歌うくらいならミクやGUMIに歌わせてくれればいいのに、とすら思っていたと思う。
きっかけは思い出せない。二次創作のMAD動画で聴いたのか、あるいはほかに何かの機会があったのか、とにかく就活時代の私は「ゴーゴー幽霊船」を聞いた。高校生時代に聞いた時はあまり魅力を感じられなかった彼の独特な声質になぜか惹かれていることに気づいた。
ハチ時代とまったく変わらない、むしろパワーアップしたのではないかと思うほどとびぬけた言語センスとポップでグルーヴィーな曲。なんだこれ、なんで今までこの良さに気づかなかったんだ? なけなしのバイト代をはたいて「diorama」「サンタマリア」「MAD HEAD LOVE/ポッピンアパシー」といった当時発売されていたCDを全部買った。当時はまだまだ米津玄師としての名前が世間に知られていない頃だったから、尚更「世間が知らない神を発掘した!」と幼稚な私を燃え上がらせた。
彼に本格的に依存するようになったのは、やっとのことで採用されたパートをクビになってからだ。
もう履歴書を書く気力すらなかった私は暇があれば米津玄師を聴いていた。ただ音の羅列として聞き流していた音がより鮮明に聞こえるようになった。「首なし閑古鳥」はできそこないに生まれた人がそれでも「あなたと同じだ、愛されたい」と叫ぶ歌だった。「あめふり婦人」を聴いていると、不器用で不幸な女性が手の届かない人に恋をしてしまった歌に聴こえた。何をやっても駄目で、何をしたいかわからない、でも、そもそも辿り着くべき「正解」なんて最初からありはしない。それが「ポッピンアパシー」だった。
真理を教わった気がしたのだ。彼の歌に出てくる人々は、誰もかれも不器用で不幸で、何をやってもうまくいかないような駄目な人間だった。しかしそんな人でもこうして歌って、生きている。生きたい、愛されたい、存在したい、そう主張してもいいのだと言われている気がした。
無論、勝手な解釈だというのは百も承知である。本人に伝えたら鼻で笑われるかドン引きされるような妄想だった。しかし当時、社会の全て(個人的感覚)から「不要」と宣告されていた私にとってはその妄想が唯一の救いだったのだ。「優秀じゃなくても、愛すべき価値がなくても、あなたは生きていていい」と言われたかったのだ。そんな都合の良い解釈を得られる「米津玄師」というアーティストこそ、私が必要としていた神だった。
「リビングデッド・ユース」を聴いて信仰はさらに加速した。そこで描かれた人間は、弱く、卑屈で惨めで笑われながら、世界に合わせて生きていくことに悲鳴を上げながらも、「それでもこの世界で生きていたい」と願い、歌っている人だった。ポップで明るいメロディで紡がれる断末魔の叫びのような歌に感動し、耽溺していた。
私と同じような想いを、私と全くかかわりのない人間も感じ、歌っている。そう思うと、履歴書に嘘八百を並べたり、醜い引きつり笑いを浮かべて他人と会うことに対する勇気が湧いた。
今現在、米津玄師は国民的アーティストになっている。テレビで毎日のように彼の特集が組まれたり、youtubeに彼の歌をカバーした動画が山のようにアップされ、有名らしい賞を受賞したり各界の著名人と対談したり、それはもうえらいことになっている。
一方私は、社会人の末席を汚す者としてなんとか毎日をやり過ごしている。最近になってようやく、あのとき私が感じたものは妄想だったのだろうと思うようになった。沢山の人に言葉を届ける才能がある彼が、私のようなロクデナシと同じ感情を味わっているわけがない。私が単に、彼の曲に一方的な恋をして、都合良く受け取っていただけだろうと。
それでもやはり、彼の新曲を聴くと胸の高まりが止まらない。youtubeの動画を再生するだけで手が震えるし、繊細で入り組んだリリックにうっとりと聞き入ってしまう。彼の新シングルが自宅に届く日を心の支えにして苦行のような日々をなんとか耐えている。
もはや「神」という形容詞がオタクの中でも陳腐と化した今、私は米津玄師を崇拝し続けている。
クソデカ感情が主食ならTRUMPを見てください
TRUMPという舞台作品がある。
当方は顔の良い男がクソデカ感情の狭間で死ぬ作品が大好きなので、「フランケンシュタイン」「ジキル&ハイド」といった昨今のクソデカ感情ボーイズ殺し殺されミュージカルも履修した。
それらの紹介も今世紀中にいずれするとして、まず今回はTRUMPという作品を紹介させていただきたい。
クソデカ感情男子を好まれるだろう諸姉にはそもそも紹介するまでもなくご存知かもしれないが、TRUMPとは劇団ピースピットが発表した作品である。
初演は2009年、その後も2013年(いわゆるDステ版。私はこれを視聴しました)、2015年に再演し、他にもストーリーに繋がりのある「LILIUM」「グランギニョル」など多数の作品が製作されている人気シリーズである。
ジャンルはいわゆるギムナジウムものであろうか、繭期と呼ばれる吸血種(ヴァンプ)特有の思春期を迎えた少年たちが暮らす学園「クラン」で巻き起こる友情と愛憎と悲劇の物語である。
主人公ソフィ・アンダーソンはヴァンプ(おおよそ吸血鬼のこと)と人間の混血であるダンピール。その忌まわしい出自ゆえクランの少年たちからは見下され、蔑まれている。しかし、ただ一人、ヴァンプの名門デリコ家の子息であるウル・デリコだけは彼を気にかけ、親しげに接してくる。そして彼はソフィにこう告げるのだ。
「僕はトランプを探している」
TRUMP、TRUE of VAMP。それはヴァンプの始祖であり創造主。永遠の命を持ち、他のヴァンプにもその不死の力を与えることができる。ウルはトランプから永遠の命を授かりたい、という願いを持っているのだ――
こんな話エモくないわけがないのだ。
ダンピールであるがゆえ周りに蔑まれ、短命の宿命を持ちながらも優しく気高く生きるソフィ。名門である家に縛られ悩み苦しむウル。ウルは運命に縛られるソフィに自分を重ね合わせ、「僕は君、君は僕だ」としきりに訴える……
こんなのもうあらすじだけで5000兆点である。最高。悲劇の掌で踊る少年たち! 彼らを嘲笑うかのように怒涛として訪れる悲しい運命! 最高! 最高!
さらに登場人物は彼らだけにとどまらない。ウルの兄で、苦悩する弟を守ろうとする「優秀な兄」ラファエロ、ラファエロに嫉妬し、陥れようとする名門子息アンジェリコ、そんな彼らを斜に構えて観察する謎の転入生ガ・バンリ、人間の少女に叶わぬ恋をしてしまい、たびたびクランを抜け出す問題児アレン、そんな彼を気にかけるドジで風変わりな教師のティーチャー・クラウス……
「これ!!!!!!!!こういうのが見たかったんだよ!!!!!!!!!」
TRUMPの存在を知ったこう叫ばざるをえなかった。この濃厚なJUNE的耽美空間! 絶対バタバタ人が死ぬ! 確定的悲劇! 友情が愛憎に変わる瞬間!!!!
あらすじだけでエキサイトしてしまったが、大体このような作品である。
こんな王道耽美悲劇を生の人間が演じる作品として見られるのだ。耽美大好きクソデカ感情主食マンとしてこれ以上の喜びがあろうか。この為に二枚入りBlu-rayと外付けHDDを買ったがその程度の出費はもはや些末である。
さらにこの作品、なんと主演のソフィ・ウルを中心としたキャストが互いに役を入れ替えて演じる、いわゆるリバーシブルキャストを行っている。ソフィになりたいと渇望していたウルが別の公演ではソフィそのものになっているのである。オタクを殺そうとする陰謀だろうか。
吸血鬼。ギムナジウム。耽美。血の宿命。吸血によるイニシアチブ。叶わぬ恋。星に手を伸ばす。
これらのキーワードにピンとくる諸姉は是非TRUMPを見ていただきたい。そして懐に余裕があるのなら是非とも二枚組Blu-ray版を買い、TRUTH版・REVERSE版を交互に見て頭を抱えてほしい。
そしてソフィとトランプの筆舌しがたい結末に、一緒に床を転げまわってほしい。
偉そうなことを書き連ねてしまったが、私はまだLILIUM他TRUMPシリーズ作品を未見なので、早く新作マリーゴールドに追いつきこの果てしないTRUMP坂を昇っていきたいと思う。